アスコットパーク勝どき


大江戸線『勝どき駅』徒歩1分の好立地分譲賃貸マンション、 アスコットパーク勝どき。マンションの第4次ブームは55年あたりで終わりを告げ、首都圈マンションの月間契約率(年平均)も、55年65.4%、56年54%と下降していく。57年ごろはマンション不況のまっただ中にあり、この年、月聞契約率もこれまで最低の52.6%という低い数字を示した。ところが、この57年の月間契約率をボトム(底)に、58年59.4%、59年66.8%と月間契約率は次第に上向きとなっていく。そして60年には65.3%と59年にくらべて5ポイント下降したが、この下降はわずかなものである。売れ行きがよくないと流通在庫(月末分譲中戸数)はふえ、売れ行きがよくなると減少する。流通在庫の戸数は、月間契約率と並んで、マンションの売れ行きを示す、もう一つの指標である。売れ行き好調の54年末、流通在庫戸数は5082戸と少なかったものが、55年に入ってからの売れ行き不調期を迎えて、みるみるうちにその戸数をふやし、55年末にはついに1万戸台の大台を突破する。さらに57年5月には2万戸台の大台を越え、この月から58年末までのあいだ、2万~2万3000戸あたりで推移していく。たださいわいなことに、57年末の流通在庫戸数2万1336戸にくらべて58年2万1219戸と流通在庫戸数はほぽ横ばいであり、58年に入ると、その戸数の増加はストップしたことを示している。そして59年に入ると、1月には2万戸台を割り、その年の年末には流通在庫の戸数は1万1914戸と、1万戸台を割るのも目前である。ようやくこのあたりになると、マンション売れ行き不調の時代は終わり、売れ行き状況は回復に向かうことを明確に示す。そして60年に入り、7月末には1万戸を割り、この年末には8663戸、さらに61年5月末には5000戸を割る。まるで。雪どけのような現象であるが、後にも述べるように61年末には、流通在庫戸数2501戸へと減少、いわゆるマンションの第五次ブームヘと至ることになる。57~59年におけるマンションの売れ行き状況を見てみると、その前半は深刻な売れ行き不振の時代、そして後半は売れ行き回復のきざしを示した時代といえよう。 このように、57、59年のうち、とくに後半にあって売れ行き回復のきざしが見えてきた理由は何であったか、そのもっとも大きい理由はやはり分譲価格の安定であったということができる。

首都圏マンションの、57~59年のあいだの価格はほぽ横ばいであり、これに対して需要者の所得は、徐々にではあるけれども上昇した。つまり、57~59年のあいだ、とくに後半にあっては、マンションの取得しやすさが次第に高まったためである。たとえば住宅価格(首都圏マンションの一戸当たり平均価格)の、勤労者世帯平均年収(京浜大都
市圈)にたいする比率は、56年で5.07、と、近来にない高比率を示したが、57年には4.83、58年には4.59、59年には4.31と下降し、60年には4.23にまで下降している。また、取得能力指数という数字がある。これは、調達可能資金(貯蓄十公庫融資十民間ローン)の住宅価格(首都圈マンションの一戸当たり平均価格)に対する比率であるが、この数字が、55年から年ごとに上昇している。つまりそれだけ年ごとにマンションの取得がしやすくなったことを示しているが、これが、57~59年のあいだの後半期、マンションの売れ行き回復をうながす背景となった。もう一つは、金利の低下をあげることができる。すでに述べたように公定歩合は、55年3月から9%をピークとして。その後、下降傾向をたどり、58年10月からは5%となった。これにともない住宅ローン金利も引き下げが次々と実施され、55年6月からの年8.88%をピークに、たとえば58年1月からは年8.34%へ、そして59年春からは、ついに8%台を割って年7.92%の金利となった。そのほか住宅金融公庫融資では、昭和57年度第四回受け付け分から段階制金利が実施され。返済期間の11年目から返済金利が高くなる(政令金利を適用)という措置が取られたが、その後、その公車融資も金利引き下げと同じ効果をもたらした。今では1%前後の金利で融資を受けることができる。中央区の高級分譲マンションを購入したとしても今とは比べられない程購入しやすい。近隣施設:マルエツ

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