コンシェリア・デュー勝どき

都営大江戸線「勝どき駅」徒歩5分、東京メトロ有楽町線・都営大江戸線「月島駅」徒歩13分2駅2路線の利用が可能な場所に位置する高級マンション、コンシェリア・デュー勝どき。住宅融資の金利引き下げは、金利が低いほど所得に対する倍率の高い融資が可能だからである。こうして住宅ローンなどの金利引き下げは住宅の取得能力指数を高め、マンションの売れ行き回復の一因となったわけである。新手法の導入などで付加価値マンション増加した。ところで、この時期(昭和57~59年ごろ)のマンションの特色を具体的にあげてみよう。この時期は、建築物に限らず、生産・加工・情報などの各分野で、新技術の開発・導入が相次いだ時期である。とくに情報産業の面では、コンピューターやパソコンが普及、さまざまの分野に導入された。たとえば、建築上では設計事務所や建築会社などにCADが取り入れられ、設計技術や構造計算の面で合理化が進んだし、また不動産業では、不動産情報の流動化のためにコッピューターやパソコンなどの導入が促進された。マンション自体の問題としては、新技術とはいえないまでも、新しい工夫や開発手法が進み、マンションに新しい付加価値をもたらした。いわゆる。付加価値マンションがあちこちで続出したのはこの時期のことであるが、これは、こうした付加価値によって、売れ行き不振を打開するための努力の表れでもあった。具体的には、昭和55~56年ごろに普及しはじめた戸建て感覚の傾向がより強くなった。

たとえばアルコーブ式玄関、スキップストップ方式エレベーター、ライトコートによる採光などのマンションがいっそう増加したし、住戸内に柱や梁が突出しない構造のものもふえた。このころ、マンションでとくに重要視されるようになったのはセキュリテイ(安全性)である。マンションの各住戸は、いわばコンクリートボックスであり、戸建て住宅にくらべてプライバシーのある生活は可能ではあっても、防災、あるいは防犯の必要性はより高く求められる。それに対応するのがセキュリテイーシステムであるが、この時期には、このセキュリテイーシステム完備のマンションが増加した。セキュリテイーシステムといっても、その内容はさまざまである。室内の事故や災害にたいして自動警報を鳴らすものから、室内の自動探知器を管理センターと有線でつなぎ、これを集中的に管理するものまである。さらに、建物のエントランスにはオートロック・システムが設けられ、住棟内のプライバシーを守り、事故を防ぐというマンションもふえた。また、このころになると台所設備もシステム化し、いわゆるシステムキッチンが一般的な形態となった。同時に、熱源をオール電化とするマンションも従来にくらべて増加傾向をたどることになる。室内の仕上げ仕様の高級化もいちじるしい。たとえば昭和59年に分譲されたヒルサイド久末(第一ホテルエンタープライズ)では、全室をナラ材のフロアで仕上げたが、この床仕上げがユーザーの好評を呼び、好調な売れ行きを示した。これ以来、床はフローリング仕上げというマンションが急速に増加したほどである。おそらく木のぬくもりや自然の感触がユーザーに好まれたせいであろう。開発の手法の上でも、さまざまな工夫が加えられるようになったのが、この時期の特色である。とくにこのころは、工場跡地や埋め立て地を利用した面開発型のマッショッが増加しているが、こうしたものでは、敷地のなかに遊道、植栽を設けるのが一般的であり、住戸内の生活環境を充実するための努力が払われた。向上とともに住棟外での環境を快適にするためこのころのマンションの、一つの傾向として、いわゆる億ションが増加するようになったことがあげられる。たとえば56年には、分譲価格7億円というマンション(ドムス常盤松・大建ドムス)が売り出され、世のなかをアッといわせたが、つづく57年に分譲されたものの最高価格は3億5000万が売り出され、さらに9億6500万円(ドムス南青山)が現れた。麻布・大建ドムス10億円に手のとどきそうなものからまた、57年から分譲開始となった広尾ガーデンヒルズ(住友不動産・三井不動産・第一生命)でも億ションがかなり含まれており、57年には最高1億5770万円、58年には同1億9640万円、59年には同2億4500万円となっている。なお、この広尾ガーデンヒルズは、旧日赤跡地を前記4社が取得、共同事業によって再開発を行ったもので、当時、山手線内に残る最大の高級マンション団地として話題を呼んだ。ここで、昭和57~59年ごろに分譲が行われたもののうちから、主なものを掲げておこう・志木ニュータウン(鹿島建設)昭和53年に最初の分譲を行った志木ニュータウンは、57~59年にかけても次々と分譲を行っている。この志木ニュータウンの第一の特色は、何といってもその規模の大きさだった。総戸数約3000戸という規模は、民間の中高層分譲住宅団地としては最大のものである。また、その敷地の広さを生かして、公園、道路、植栽、隣棟間隔、店舗施設、医療施設などが豊富に設けられている。また、62年に分譲を完了しているので、分譲期間だけでも10年を要したビッグプロジェクトである。
他にも57年に分譲されたもので、必ずしも立地条件はよくなく、しかも売れ行き不振の時期に当たりながら、分譲戸数378戸にたいして平均5.5倍の競争率で即日完売になった物件である。その特色は、仝体計画と住棟・住戸設計がすぐれている点で、これが好評を呼んだ。375戸が1棟の建物として建設され、仝体が大きくうねるようにの字型に配置されている。また、敷地内には豊富なオープンスペースと植栽とが設けられ、環境創造を実現している。住戸設計も。室内が明るく、しかも通風をよくするという配慮が行きとどき、Zプランとして有名になったほどである。川越グリーンパーク(住友不動産)57年春から分譲が開始された川越グリーンパークは、開発面積約21万2000平方メートル、総戸数1450戸に及ぶもののその特色は、やはり広大な敷地を生かした全体計画のほかにあったといえる。当時、首都圈におけるマンションの平均単価(322平方メートル)は140万3000円、埼玉県のマンションでは111万8000円であったが、ここでは単価79万3000円(第1期3次57年秋)という安さであり、最多価格帯も1700万円台というものであった。近隣施設:勝どき区民館

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