高級賃貸の歴史
マンションの歴史/高級賃貸マンションの現状
日本初の分譲マンションの歴史はまだ50年ほどの浅い歴史しかなく、高級賃貸マンションといわれるカテゴリについても2000年以降から認識されてきたばかりです。2020年になり築50年のマンションがいくつか出てきています。今後古くなったマンションは、どのようにリフォーム、補修をして存続していくか?が今後の課題になっていきそうです。
このサイト内では、今までの日本での建築・マンション・ディベロッパーの歴史から、現在の高級賃貸マンションを紐づけて考えることで、これからの東京都内のマンション市場の動向、マンションブランド、設備の変化を過去の歴史に基づき紹介させて頂きます。
大手のデベロッパーが賃貸マンションを建て続けていく中で、三井不動産、住友不動産、東京建物、長谷工ライブネット、伊藤忠アーバンコミュニティなど多くの大手企業が、自社のブランドマンションを今までの施工してきたそれぞれの蓄積されたノウハウをもとに、賃借人に快適な生活を提供するために日々努力している。大手が特徴のある自社ブランドのマンションを提供していけるか!?各ディベロッパー会社の施策が今後の注目されます。
マンションブームのきっかけとなる『マンション法』
1962年にマンションの基本法の【建物の区分所有等に関する法律】が制定されたことで、1963年第一次マンションブームが到来。この法律で高額所得者が銀行から融資を受ける、今では普通になった住宅ローンを利用した購入ができるようになり、革命的ともいえる大きな変化が起こりました。
当時、代表的なマンションとして原宿駅前にある『コープオリンピア』。今も好立地が人気となり多くの住居・事務所として使用されている。日本の初億ションマンションとしても知られています。第2次世界大戦後の住居難の際に、居住水準の向上を図るためを目的として1950年に住宅金融公庫の融資制度が始まり、これをきっかけに数年後には、高所得者以外の大衆に向けてのマンションの建設が普及して、都内の杉並区から埼玉県の立地に50㎡前後のマンションが供給されていき、一般的な収入所得者も購入できるようになりました。
今も独特な外観が特徴的な秀和シリーズの「秀和外苑レジデンス」売主:秀和や、「マンション南目黒苑」売主:朝日建物が建築された、この時期のマンションはまだ狭く、現在の洋風な仕様ではなく、和室をメインとした間取りが多いため、古い仕様のバランス窯のお風呂が最先端の設備として普及していました。
現在のマンションは、オートロック、浴室乾燥機、システムキッチン、床暖房、24時間換気システム、食洗器など、便利な充実した設備が標準に搭載されている高級賃貸マンションも多く建築されています。しかし、マンションの歴史は意外とまだ浅いことに驚かされます。
マンション耐震基準が導入
室内だけでなく、建築上の安全性についても改善されてました。1950年に定めされた建築基準法により【国民の生命、健康および財産の保護を目的に、建築物の敷地・構造・設備に関する最低の基準】が制定されました。これにより、マンション建築の施工の際に決められた基準で施工する基準が決められました。これは日本では災害の一つとして多く発生する地震対策としての意味があります。その後の歴史的に見ても、1948年の福井地震、1968年の十勝沖地震の後にも建築基準法でマンションの建築時の柱に使用する鉄筋コンクリートの柱をより強固にするように各建築会社に義務付けられていきました。1978年の宮城県沖地震により、建築基準に大きな変化が起こります。1981年6月に今も適応されている【新耐震基準】が定めされた。大きな地震が起こっても高い安全性が確保できるように定められた基準になり、実際の地震よりも倒壊したマンションでの死亡者が多く、倒壊する建物が旧耐震基準の建物に多かったことが理由にあげられます。
このように都内を中心に狭いエリアにも多くの住居を施工できるマンションの普及が増えていき、室内だけでなく、施工からマンションはより安全により快適に住むことができるように国も政策をしていく流れとなっていきます。1972年には、田中角栄首相による『列島改造論』によって第三次ともいえる不動産ブームとして、不動産に投資する動きが活発になりました。地価が高騰して高級マンションが増えていく中、住宅金融公庫の制度を利用した『公庫融資が受けれる分譲マンション』の利用が拡大していき全国でのマンション需要戸数が20万戸近く広がっていきます。多摩地区や、千葉のエリアにベッドタウンとして、大規模なマンションが複数建築され、低額でマンションを購入できるため大人数が購入を検討していました。この時代のマンションは前にご紹介した分譲マンションのはしりとなる『秀和シリーズ』の内装とは違い、和室の内装は減り、西洋式に変化していった。リビング、洋室、ダイニングなどそれぞれの部屋に特徴的な機能を持たせていく考えがここから今に伝わリます。
マンションの周辺環境への配慮
1980年にはマンションの普及が一般的になり始め、港区に『シャンボール』、板橋区に『サンシティ』三井不動産:売り主などの代表的なマンションの平均分譲価格が2000万を超えました。広い敷地にマンションを施工して、コミュニティルームや、マンション居住者が使用できる公園、周辺には緑がある環境を提供するようになりました。室内だけでなく、住環境から改善していく考えになっていきます。それに伴いセキュリティー設備として『オートロック』が導入され始めたのもこの年代からで、建物内の設備が注目されていきました。
タワーマンションの登場
1986年からの年代は俗に言われるバブル時代となります。東京都内では数億円という高額な高級マンションの供給がされます。地価向上に伴い高額物件を扱うディベロッパーの物件は日に日に価格が上昇し、このころに30階を超えるタワーマンションが施工され注目を浴び話題になりました。今も人気の高い渋谷区の低層高級マンションの『広尾ガーデンヒルズ』売主:三井不動産、当時十数億円の値段が付いた港区の『ドムス高輪』などもこの時期に施工されています。この時期のマンションは施工費も高く、上質なマンションが建築されているためマンションのスペックが高く、上質な管理により、リフォームしながら今もなお人気の高級賃貸マンションとして人気が衰えません。そして1994年から日本の経済バブルが崩壊後、地価が下がりバブル時期に比べ半値程でマンションを購入できるようになり、住宅金融公庫の融資の金額が増え、住宅ローンの金額が2%前後まで下がり、購入するには好条件となり賃貸で住むよりも購入した方がお得感が出ることで分譲マンションを購入する人が一気に増えていきます。
都内の超一等地に高級マンションが施工されていきます。中央区には現在も銀座の唯一のタワーマンションとされる『銀座タワー』売主:三菱地所、今も絶大の人気の高級マンション『ザ・ハウス南麻布』売主:野村不動産、都心部から少し外れた湾岸エリアにはお台場方面を一望できる眺望を誇る50階ほどの2棟の高層マンションの『東京ツインパークス』売主:三菱地所などが注目されます。このころのマンションは、耐震についても高い基準になり、室内設備にはシステムキッチン、床暖房、ディスポーザー、浄水器、モニター付きインターフォンなど今と変わらない高スペックな設備が装備されています。また、好立地の土地を賃借権50年など期間を決めて借り上げそこにディベロッパーが高級マンションを施工するといった期間限定でマンションを運営するような不動産商品もあります。原宿の一等地に建てられたパークコート神宮前も定期借家借地に建築されています。何十年後には取り壊しされる予定のため購入価格や安くなるメリットもあるが、大規模な高級マンションに多いため、毎月の管理費・修繕費は高価になっているため注意が必要です。
まとめ
簡単ではあるが年代ごとの大きな出来事をもとにマンションの歴史についてお伝えしました。不動産はその時期の社会の出来事や、経済状況によって大きく左右されます。マンションの歴史から見ると今後のマンション市場の動向。相場などの変化、時代に合ったマンションの選び方など様々なことが正しく選択することができるようになります。今現在施工されている築年数の浅い大手ディベロッパーが施工する分譲マンション、賃貸マンションの良さを比較して頂きこのサイトをご覧になっている方のライフスタイルにあった快適なお部屋を探しましょう。
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