アルス勝どきコモーネ

都営大江戸線勝どき駅から徒歩6分の分譲マンション、アルス勝どきコモーネ。価格の状況をより厳密に見るために、56~60年における3.3㎡当たり価格をあげると次のようになる(カッコ内は前年比の変動率)。56年=141万9000円(9.2%増)、57年141万5000円(2%減)、58年=141万3000円、59年=138万7000円2.8%減)、60年141万3000円2.9%増)。ところで、57~59年における首都圏マンションの供給戸数は、57年5万2465戸、58年5万452戸、59年4万3839戸となっている。57年は56年にくらべてやや減少したが、58年には前年にくらべて3.9%の供給戸数増加、59年には前年比19.6%の大幅減となっている。いわば一進一退の供給戸数の推移であるが、58年の戸数増加はマンション不振脱出を見込んでのものであり、59年の戸数減少は、依然としてつづく売れ行き不調のための、生産調整によるのだったのではないか。また、マンション供給量を地域別に分けてみると、57から59年には、55~57年よりもさらにまたマンション供給量の供給総戸数は構造的変化が生じている。たとえば55~57年における首都圏マンションの供給総戸数は15万6915戸であったが、これを地域別に分けると、東京23区7万5367戸(全体の48%)となっている。57~59年と54~56年の地域分布をくらべてみると、地域分布割合のポイントを下げたのは東京23区と千葉の両地域。とくに東京23区では、48%から43.3%へと4.7ポイントも比率下降となった。かわって大きくポイントを上げたのは神奈川地域で、ここでは地域分布比率を4.3ポイントも上げているが、このこマンションの立地が都心から次第に郊外化しつつあることを示すとともに、神奈川が、マンションの主要供給地域となってきたことを示す。

 

振り返ってみると、昭和51年から53年ごろ、神奈川県で供給されるマッション戸数は、東京都23区内のそれにくらべてほぼ三分の一程度であったものが、昭和50年代の後半、とくに59年には東京23区の戸数の3分の2程度に市場規模が広がったことになる。さらにこの傾向は60年代に至るといっそう強まり、60年には東京23区と神奈川県との供給戸数は逆転する。まさにマンション立地の構造的変化以外の何ものでもあるまい。なお、この時期の分譲価格はすでに述べたところだが、各地域別の一戸当たり単価と一平方メートル当たり単価は、たとえば59年の一戸当たり平均価格では、当然のことながら東京都23区がもっとも高く、埼玉地区がもっとも低い価格となっている。また東京都下よりも神奈川地域が高くなっているのは、分譲単価が高いためではなく、東京都下よりも広いマンションが供給されたからで都下の一戸平均面積61.7平方メートある。分譲単価(3.3平方メートル当たり)については、一戸当たり平均価格と同様で、もっとも高いのが東京23区(168万1000円)、もっとも低いのが埼玉地域(104万2000円)となっている。ところで、この時期のマンションの売れ行き状況を見てみよう。近隣施設:勝どき区民館

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です