レジディア京橋

レジディア京橋 外観

レジディア京橋は2005年1月築の地上15階建て、総戸数52戸、RC(鉄筋コンクリート)造のハイグレート賃貸マンション。溝の口から田園都市線で西行すると、梶ケ谷、宮崎台、鷺沼あたりから、路線の両側に新しい住宅地の出現がみられる。広い造成宅地では、1戸建てだけではなく、白いアパートが2棟、3棟くらいの規模で建てられていた。「たまプラーザ」駅の駅前広場には、高層のショッピングセンターが建てられ、広場と駅前道路を隔てた地区には白いアパート群が連なった。江田駅前には、10階建ての「江田駅前ドエリッグ」が44年6月に完成した。市が尾駅前には、さらに高い2階建てのプラーザビル(2棟)が、同じころ完成した。このアパートは、わが国で初めて専用プールをもつものであった。また、このビルの一階のショッピングセンターは、もともとこの建設地の土地所有者(地主)が土地の地上権を東急に譲った代償として譲り受け、それぞれ所有経営(賃貸を含む)するという、新しい権利配分の方針をとったものであった。この時代より約半世紀前の大正中期、この地区に住んでいた若い詩人・佐藤春夫は、当時のこの一帯のひなびた風景を次のように描いていた。それが漸くに山国の地勢に入ろうとする変化の言はば山国からの微かな余情を湛えたエピロオグがあり、やがて野原への波打つプロロオグでもあるこれ等の小さな丘は、目のとどくかぎり此処にも其処にも起伏して、それへ通じているあたりに、その道に沿って一つの草深い農村があり、幾つかの卑下った草屋根があった。世界から忘れられた真空地域に建てられたモダンなビルやアパートは、半世紀の歴史の変化を強く感じさせるものだ。青葉台駅のすぐ前には、10階建ての公団住宅(下2階はショッピングセンター)が3棟並んでおり、これに中層アパート群が連なり、また、約5キロ離れたところには、東急の「桜台ビレッジ」が建設された。斜面を活用し、波型に重ねた新しい型の中層住宅群(5階、4ブロック)であった。新しい住宅地「つくし野」の開発は、東急不動産が担当し、学校、幼稚園、教会、グラウンド、テニスコート、ショッピングセンター、病院などを備えた新しい町を出現させた。ここでは高層住宅の計画はなく、一戸建て住宅が並んだ。東急グループは、前記したように、この沿線に次々と高層住宅の建設を進めた。人間と都市生活の調和快適な自然環境と住宅の機能性をあわせもつことを謳った。東急ドエルシリーズである。五島慶太・東急会長が、昭和二七年ごろ、この田園都市の構想を発表し、とりあえず5万戸の住宅を建てる計画をつくれと社内に指示したときは、その計画の大きさに社内では理解できない人が多かったというが、その後の多摩田園都市は、高層住宅という新しい住宅様式をとり入れることによって、構想当初よりはるかに大きい町づくりを見せるようになった。全体計画として「全域の3分の1を高層住宅地区にする」という方針がとられて、建設活動が展開された。近隣施設:ライフ

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