銀座二丁目レジデンス


銀座エリアに建つデザイナーズ分譲賃貸マンション、銀座二丁目レジデンス。同価格政策の修正で市場回復を50年の全国供給戸数は約5万100戸、前年に比べてさらに27.2%減、前々年に比べると47.0%減とほぼ半減してしまった。地域別にみると、首都圈の約2万6000戸(全国の45.6%)、近畿圈約1万3000戸(同25.9%)、東海・中京地区約4600戸(同9.2%)、その他の地区の供給は1000戸台であった(これ以降、しばらく首都圈が全国の約半分、近畿圏が約四分の一、その他地区合計で約四分の一、という供給比率が続くようになった)。 発売のペースはほとんどの地区で低下しており、とくに近畿圈では35.0%(約7000戸)のダウン、首都圏でも約20.0%(約6000戸)のダウン、中京地区のみが前年なみの供給を保っていた。地方有力都市でも、九州、四国の両地域はいずれも前年比半減以下となり、四八年の地方の新規発売戸数を上回る過剰在庫が、このマンションブームは完全に終了した。これらの地方都市では、あと二年間続き、ダンピング件数の増大、下げ幅の拡大(約20%まで)などで、処分を進めるということになった。値下げによる販売促進だけでなく、クレジット制度の導入、頭金額の引き下げなど、需要層の少なさなどで、多くの越年も行われたにもかわらず地方経済の不振のマンションがでていた。地方都市の不振で、相対的に首都圈のシェアは高くなった。48年の39.9%から、49年には46.8%となり、50年には51.6%と半分以上になった。供給主(企業)別の分譲戸数をみると、前年に引き続いて商社が上位を占め、地方都市では地場企業によるマンション供給が減った。日商岩井が二年連続トップとなったが、首都圈で103戸、仙台で472戸など、全国で一四プロジェクトニー62戸を供給した。二位は長谷工不動産(長谷川工務店系) 1897戸、三位はトーメンー557戸、以下、丸紅1167戸、安宅産業1082戸、75戸、フェアレーンズ892戸、ニチメンハ54戸、西武不動産782戸、の順であった。専業では長谷工不動産、ニチモの安定供給が目立った(とくに、長谷工不動産の場合は、親会社の長谷川工務店の物件の販売を拉当している会社であり、長谷川工務店は、前記の日商岩井、安宅産業などの商社のマンション発売について、その企画から建設、販売ま
での受託を受けており、実質的には長谷川工務店グループが、マンション業界で突出した実績をもつ時代が、このあと続いた)。一方、住友不動産、兼松江商、住友商事、蝶理、大成建設など、前年のランキング社10位が大きく後退し
ていた。一戸当たりの平均価格は、全国で1523万円で、前年比わずか一%の上昇にとどまった。48年が38.8%の大幅アップだっただけに、急激な価格沈静であった。マンション分譲価格の推移をみると、49年は下半期に上昇がみら
れたが、50年は反対に下半期に下降という逆転現象があった。一戸当たりの総額を抑えたマンションの販売が増えていた。在庫の処分に奔走し、かつ、新規マンションの供給を減らしながらも、マンション各社は、新規マンションについての価格政策を、在来のコスト主義的な考え方(所要コストに利益率を加えた価格設定)から、マーケット主義的な方針(購買者の希望価格にあわせた価格を設定した上で、その水準にあわせた建設企画を進めるというやり方)に転換させてきた結果であった(この方針転換と、根強い住宅需要によって、50年代はしめに、マンション業界は在庫調整を終了させ、第三次ブーム時代を迎えることとなった)。地方都市に比べると相対的に厚い需要層をもつ首都圈でも平均価格は1657万円から1530万円に値下がりし、全国各地では大幅アップを示した地区はほとんどなかった。この一戸あたり価格の低落によって、48年に1兆円台に乗せ、49年もこれを維持したマンション市場の規模―総発売額は、50年には約7600億円と大台割れとなり、前年に比べ約2800億円の市場縮小となった。しかし、大勢は売れ残り戸数の処分に追われていた各社で、新規発売マンショッの契約率は少しずつ好転し始めていた。前記したような価格政策の転換―市場価格での供給が普及してきたためであった。50年末の売れ残り戸数は、首都圏で約1万7300戸、近畿圏で約1万200戸、全国で約2万
8000戸と、なお高い水準を続けていたが、全国べースで前年末の約4万2000戸よりも一割見当の減少をみせていた。近隣施設:ローソン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です