シャルマン勝どき4丁目コートは、2005年竣工、SRC構造、地上4階建ての賃貸マンション。価格高騰で需要鎮静、第四次ブーム終息していく。55年、地価上昇で住宅取得環境は悪化昭和54年から55年にかけてどんな時期であったか。政治的には、53年末に成立した第一次大平内閣がつづき、54年11月には第二次大平内閣その途次の54年1月には、第二次石油ショックが発生、6月には第五回先進国首脳会議(東京サミット)が東京で開催された。米国からはカーター大統領、西独からはシュミット首相、フラッスからはジスカールデスタン大統領、英国からはサッチャー首相らが出席している。このころの新設住宅の一戸当たり平均面積で見ると、その面積は米国や北欧などにくらべてかなり劣るけれども、西独よりはやや小さく、フランスよりもやや大きいというのが実情だ。イタリアにくらべると、かなりの面積で上回っており、新設住宅だけでいえば必ずしもウサギ小屋とは限らない。たしかに、東京都内との統計の取り方には違いがあり、ウサギ小屋と見えるのは当然という意見もある。ただ。ウサギ小屋”と見える理由の最大のものは、やはり東京都内における社会資本の低水準にあるのではあるまいか。つまり、狭小な敷地に軒を並べて建てられている戸建て住宅や、狭い道路、あるいは都市における公園の未普及ぶり、下水道普及串の低さなどが、彼らの目には日本人ウサギ小屋に住んでいるというイメージを与えたのに違いない。55年に入ると、春には都市銀行六行が現金自動支払い機のオンライン提携を開始、このころから世の中の情報化は次第に高まりを見せることになる。たとえば54年には日本電気がパーソナルコンピュータPC8001を発売、本休価格16万8000円という低価格でパソコンブームのきっかけをつくったし、55年春には、富士通が日本語電子タイプライターを発売、ワープロ普及のいとぐちとなった。55年6月には、大平正芳首相が急死した。衆・参同日選挙を6月22日に控え、全国を駆け回った過労のために入院したが、同日選挙を10日後にした6月に亡くなったのである。選挙の結果、自民党は衆院28名、参院て25名(非改選を含む)を占め、圧勝した。つづいて7月には鈴木内閣が成立する。ところでこのころの住宅・不動産事情における特徴的なことがらとして、54~56年の土地価格上昇がある。たとえば地価公示価格によると、49年まで異常な上昇をつづけてきた公示価格は、第一次石油シ
ョツクにともない訪れた低成長時代を背景に、50年には対前年比8.9%(仝国平均)のダウンを示したが、その後やや回復したものの、51~53年には一ケタ台前半の上昇率で推移した。ところが54年となるとかなりの比率で上昇、55年にはの値上がりに拍車がかかる。たとえば54年の地価公示によると、対前年の値上がり率は、全国平均で6.5%、三大都市圈平均で8.1%、東京圏で平均8.8%、大阪圏平均で6.8%、名古屋圈平均で8.2%であった。さらに55年には、全国平均、三大都市圏平均、東京圏平均、がすべて上昇していく。とくに大都市周辺における地価上昇にいちじるしいものがあった。56年の公示価格も同様であり、全国平均、三大都市圏平均、そして各三大都市圏平均のいずれも二桁台の上昇率を示している。近隣施設:マルエツ