勝どきレジデンス

勝どきレジデンス 外観
勝どきレジデンスは、都営大江戸線・勝どき駅徒歩4分の地に建つ高級賃貸マンション。下層階がオフィス、上層階がレジデンスフロア。同情報化対応と超高層マンションの新技術が発達していきます。このような60~62年のあいだの傾向のなかで、マンション自体の特色はどのように移ってきた。まず、超高額物件がふえ、マンションの立地や価格に二極分化の傾向が強く見られるようになったことである。超高額物件は50年代末あたりから次第に増加してきたが、61年から62年にかけては増加傾向がいちじるしくなった。いわゆる億ションは、61年の23物件から62年の71物件へと約3倍の増加である。しかも価格そのものも高額であった。たとえば61年における最高価格のマンションは価格は、広尾ガーデンヒルズーサウスヒルE棟(住友不動産、三井不動産、三菱地所、第一生命)の5億8000万円。しかも、高額物件ベストーテンの価格分布は1億4200万~5億8000万円であるが、62年となると、最高価格は17億9500万円(ドムス高輪)で、高額10物件の価格分布は7億4040万、7億9500万円となっている。
このように超高額物件の増加とともに、一般のファミリータイプのマンションが都心部から遠隔化する傾向も強く現れている。しかも、分譲価格を押さえながらの遠隔化であり、前記のような超高額物件の増加と対比して、今やマンションは二極分化の傾向を強めてきているというべきだろう。マンションについて見方を変え、マンションにおける新技術、新工夫はどうか。すでに述べたように、昭和57年ごろからの売れ行き不振に対応して、マンションにはさまざまな新工夫が加えられ、その意昧で、マンションにおける居住性や機能性はいちじるしく高められた。その傾向は、第五次ブームのなかにあっても依然としてつづき、今やマンションの形態、機能、居住性などは、かつてのものにくらべて、目を見はるばかりに向上している。
なかでも、最近、マンションヘの導入がいちじるしいのは情報化対応の手法であろう。マンションの情報化対応が進展してきたのは、昭和57ごろからであるが、当初はいわゆるセキュリテイシステムヘの導入からはじまり、60年代に入ると、日常生活的、あるいは文化的な手段としての導人の色彩を強めてきている。たとえばマンションでもCATVや有線放送のネットワークの導入が盛んになってきているし、いわゆるパラボラアンテナ付きのマンションが急増している。衛星放送がスタートしたのは昭和59年のことであるが、これをきっかけに、マンションにもパラボラアンテナが設置されるケースが多くなった。
もう一つ、新技術、あるいは構造の面でいえば、60年代に入ってからの超高層マッションの増加であろう。たとえば20階建て以上の、民間によって分譲された超高層マンション(60年以降に完成したもの)のうち、主なものをあげてみると、プラザ元加賀(20階・日鉄ライフ)、西戸山タワー(25階・新宿酉戸山開発)、スカイシティ南砂(28階・清水建設)、パークシティ新川崎(30階)現在のところ階数がもっと高い三井不動産ミベルパークシティ(36階・三井不動産ほか)などがある。現在のところ階数がもっとも高いのは、三井不動産1989年春完成)であるが、この。記録もこれからの技術の進歩とともにやがて書き換えられていくことだろう。いずれにしても、分譲マンションがわが国に出現してから、30年がたつ。このあいだ、数の上から見ても大量供給が行われるようになったし、建築技術、構造、形態、あるいは機能性、居住性の点でも大きな進歩を果たしてきた。それだからこそ、とくに都市型住宅として社会一般に定羞したというべきだろう。ここ2.3年間は、大都市における地価高騰に悩まされながらも、マッショッの質や居住性はごとに向上し、今や都市型住宅として主流的存在に成長した。このあいだ、マッションを供給するデベロッパーはもとより、行政、金融、消費者などのサイドにあっても、よりよいマッショッ供給のために多くの努力が払われてきたことはいうまでもない。そして今、21世紀までにこのあいだ、マンションは量的にも増加している。近隣施設:マルエツ

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