ザ・パークハウス東銀座

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近隣施設:中央区役所

地価問題解決も建物の高層化で43年には都市再開発法も制定され、市街地の高度利用―建物の高層化は、時代の大きな流れとなってきた。この年の4月、わが国初の超高層ビルである三井霞が関ビル(36階・地上147メートル)が竣工、都市高層化時代開幕のシンボルともみられた。ビルだけでなく、都市住宅も高層化していこう、という機運が高まってきていた。田中角栄・自民党幹事長(当時)を会長とする同党都市政策調査会が四三年五月にまとめた「自民党都市政策大綱」には、「民間企業による高層住宅建設の促進」が重要対策の一つにとりあげられていた。また、これより前の三月、経済同友会は「地価問題解決への一構想」という提案を発表したが、その中ではとくに大都市近郊地域における住宅高層化の必要性を強調し、「東京都心から30キロ圏内の宅地開発適地に、高層共同住宅の建設を中心とした開発をすすめること、そのために30キロ圏内全域を高層地区に指定すること(こうした対策を実施すれば、住宅地需給のアンバランスー宅地の不足が解消し、地価は安定する)」ということをその主軸として強調した。低層住宅の代わりに高層住宅を建てれば、各地域で容積率や建ぺい率の制限はあるが、単純に考えて、低層の場合の何倍にも土地を使うことができる。土地部分のコストを引き下げて住宅価格全体の引き下げにも役立つ。当時、経済企團庁が試算した、住宅の階層ごとの用地費を比較したものだ。この表によると、東京圈全体においては、住宅の高層化をすすめれば、用地費は低層の場合の6分の1ないし4分の1ですむという結果がでている。都市空間はもっと開発され、より多くの人々に開放されなければならない、という考え方が、政府にも経済界にも広がってきていた。一方、前記のような予測や主張がみられる中で、マンション業界の供給戸数は大きく伸びていたが、その経営方式にも変化が生じていた。初期には賃貸方式のものも多かったが、42、43年ごろから、賃貸が減少、分譲が大幅に伸びてきた。やはり地価上昇で、賃貸の方の家賃が採算上どうしても高くなり、そうした高額の家賃を月々払い続けても、所有権はいつまでも自分のものにはならない、ということで、人居者の方で、月々相当額を払うならそれを分譲の返済金(ローン返済金)として払った方がよい、という人々が増えてきたのである。業界側にとっても、賃貸方式だと長期償却になるが、それよりも分譲方式(住宅ローン利用)の方が、資金回転上はるかに有利、ということもあった。すでに、建物区分所有法が施行されて数年を経ており、アパートの一住戸の所有権(区分所有権)を買い取るということも、次第に常識化してきていた。一戸建ての在来住宅での住生活のみに固執いず、共同住宅の合理的な生活を楽しもうという人々も増えてきて、住意識に大きな変化が現れるようになった。

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