レジディア東銀座

レジディア東銀座 外観
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大塚駅ととげぬき地蔵のあいだに位置する約1万6000坪のこの土地は,もと明治39年(1906)に日露戦争による負傷兵の療養施設の用地として三井家が岡に寄付したもので,以来内務省社会局所管の傷兵院が建てられていた所であった。昭和8年に川院が神余川県臼こ移転することが決まったとき,内務省から新設費財源の一部に充てるため跡地の買受け方を三井合名に依栢があり,12年7月に77万000円余で買い受け,私有地への移転登記を終えたのである。この間,買収後の処置を倹討していた不動産課は,戸越分譲地の設計監督にあたった大場宗憲土木事務所(現㈱オオバ)の手で分譲地に造成する方針を定め,13年の後半に工事を進め,その年12月20日から翌年3月末までを三井関係者への優先売出し期間とし,4月から一般販売を開始した。“大塚駅上分譲」也¨と名付けられたこの分譲地は,小公園を含めて198口であったが,駅から徒歩2,3分という好位置のため,坪80円台の価格にもかかわらず,2口以上を購入して合筆するものも少なからずあって,売行きは良好であった。會名の神戸所有地ここで,Ξ井合名の発足当初から所有地のあった神戸についてふれておく。同社創立時の神戸所有地は,同時に行なわれた三井銀行からの分離独立による東神倉庫の設立にあたって譲渡された倉庫敷地に接した同行の旧所有地で,葺介区磯辺通三丁目,浜辺涵五F口,同八丁目にかけて8192坪余の末利用空地であった。この土地は,東神倉庫が当時の社迎をかけて行なった地先海直i埋立,岸壁築辿(大正4年(1915)着工,7年竣工)による小野浜地区の発展に伴って,その大半が同註の倉庫川地として順次貸し付けられていき,現在に翌っている。これとは別に,大正8年に加納町一丁目~四丁口,布引町四丁目にかけて53筆,4万1223坪余の広大な土地を地上建物33棟とともに三井銀行から209万6000円余で買い入れている。三ノ宮駅に通ずる目抜きの地である。この土地は管理を東神倉庫MI戸支店に委託し,新三ノ宮駅の整備,市電や阪急路線の用地として部分的に売却されながら,商店ならびに住宅向けに賃貸された。また昭和13年(1938)7月5日の山津波に襲われて集中的に被害を被り,15年に市が布引公園計画を進め始めた磯会に約3万4600坪を,借地人および隣接地所有者に,優先的ならびに特典つきとして,分割売却する方釧を定めて実行した。売却はきわめて順調に行なわれ,当社創立期の財産目録にはすでに加納町,布引町の土地が記載されていない。現缶三井倉庫神戸支店の加納町家族寮のある戌が,かつての二井合名所有地の西端近くにあたるのである。

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