レフィール銀座フロント

レフィール銀座フロントは東京メトロ日比谷線「東銀座駅」徒歩3分の中央区築地にある2005年2月築の地上12階建て、総戸数60戸、RC(鉄筋コンクリート)造の高級分譲賃貸マンション。不動産業は,第1次高度成長下でとくに急速な発展をとげた産業部門のひとつであった。大蔵省の調査によれば,昭和30(1955)~37年に不勤産業の売上高は,全産業平均のほぼ3倍のペースで増加している。この時期には,貸ビル業,宅地造成業,住宅事業,不動産売買仲介業がいずれも業容を大幅に拡大し,埋立事業が不動産業の新分野として登場した。ここで,30~37年の各分野の動向を簡単にみておこう。〔貸ピル業〕30年代の初頭までにビルの接収解除は完了したが,第1次高度成長下の産業の都市集中を反映して,オフィスビルの需要が高まったため,ピル不足はむしろ深刻化した。この時期のピル事業について『東京ピルヂング協会30年のあゆみ』は,「昭和32,33年は……ビル需要は旺盛をき」つめビルさえ建てればもうかるという,ビル業者にとって黄金時代であった」と述べている。 31年以降長期のビル建築ブームのもとで,都心に次々と大型のオフィスビルが建設されたが,ピル不足は解消されなかった。〔宅地造成業〕30年代にはいると,宅地供給不足による地価急騰を背景に,宅地造成業に携わる中堅業老の設立があいついだ。これらの中堅業者のうち東京地区の45社が,35年5月に月本宅地造成協会を結成した。しかし,30年代の半ばまでは,機関との提携による住宅ローンが開始されたが,この時期,電鉄系以外の大手不動産会社においては一部のマンション事業を除いて建売りはまだほとんど行なわれず,その分野への参入は40年代のこととなる。〔不動産売買仲介業〕住宅難の存続と第1次高度成長下での個人所得の増加を背景にして,不動産売買仲介業も活況を呈した。取引増加によるトラブルもあったので,32年には宅地建物取引員試験制度が新設され(試験|州始は33年),37年には不勁産広告も規制対象とする不当景品類・不当表示防止法が制定された。売買仲介業を中心とする信託会社の不動産業務の取扱い高は,35年・ころから急速に増大した。盛大な民間設備投資による工場用地難を解決するために,大手不動産会社が浚渫埋立事業に進出した。その先陣を切ったのは当社であり,この点については本章第3節で詳述する。不動産協会の社団法人化以上のように昭和30~37年にぱ,不動産業全体が著しい成長をとげるなかで,関連法制の整備に伴い大于企業か各分野の事業の中心的担い手として登場するに至った。口本の不勁産業は30年代半ぼに「離陸期」を迎えたといわれるゆえんであるが,それを端的に示したのが,37年11月の不勁産賜会の社団法人化当時、不動産協会の会員会社(五十青順)社団法人化であった。9年7月18日に業界の親睦団体と宅地造成に対する法的規制も存在せず,用途転換に許可の必要な農地を避けて山林が宅地造成の主要な対象となったため,がけ崩れ等の事故が少なくなく,また巾堅業者のなかには,無理な経営がたたって倒産するものもあった。こうした事態に対応して36年11月に,災害防止に主眼をおいた宅地造成等規制法が公布(施行37年2月)された。この規制法を契機に,従来の中堅業者に代わって,大手が宅地造成業の中心を担うよ引こなったのである。近隣施設:ローソン

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