入船ハイツ


中央区入船に聳える高級賃貸デザイナーズマンション、入船ハイツ。三井本館の建設にいたる。さて,さきにふれたとおり,明洽27年(1894)1月に各社の事務所を一堂に収辻るビルの建設を方針として決定した三井家同族会は,まず益田孝を委員長とする「改築委員会」を設置し,この委員会の手で駿河町北側の測量,設計および模型の作製等を行なって三井家同族会議長に報告すべきことを定めた。その場合,設計を「造家学会ヨリ懸賞ヲ以テ募=集スルコトアルヘシ!とし,また「適当卜認ムル建築学士ヲ顧問卜又八臨時相談ノコトヲ嘱託スルヲ得」とも定めている。この新築計画が発案された動機は,明治7年,に建築された木造洋風のバンクの金庫が軟弱であり,かつ屋根も弱く,青銅の外扉も火災に弱く,姑息の修理を加えるよりも,この際各社の大廸築を断行すべしとの議が益田孝によって提起されたことによる。そして,改築委員長に任命された益田は,翌28年5月に概略案に実徊図を添えて報告した,この報告を受けた三井家同族会はただちに元方に各略店建築掛を設毀して益田を掛長に任じ,当初現存建築の鑑定にあたった工学士を雇い入れて技術課長を命じ,また大阪商業学校長を前任した成瀬隆蔵を招いて課長に任じて陣容を伝え,さらに漸次掛員を増員強化した。なお,この名商店建築掛が明洽28年9月に三井臨時建築と改称されたのは,後述するとれ
り,単に駿河町の合同ピルの建設のみならず,各地の営業所新築をも担当することとなったためである。本館は駿河町の南字型とし,正面中央を三井銀行,左翼(東側)を三井物産,右翼(西側)を三井鉱山,三井家司族会の用に充て,地下1階地上3階,痘坪約770坪,鉄骨造り,花園石および煉瓦積み,屋根スレート葺きとし,費概訪予算83万2915円余とする大徊を決定した。準備期間を含めて約7年,工期5年半が于規定された。本館の新築工事は,明洽29年10月1口の地鎮祭に始まったが,その直後に横河杉術課長を,鉄骨建築の視察調査のため米国に出張させた。横河はニューヨークをわが国の資木主義が最初に見われた本格的な恐慌をはさむ経済界の勤揺期であったと同時に三井としては経営の進路の決定と全企業の統轄組織の確立を必要とした重要な時期であった。傘下各社の事務所を一堂に収める本館建設の意図のひとつもそこにあったことは前述のとおりであるが,その励きは早くからあらわれ始めていた。100万円を超す建築費の捻出法もそのひとつであった。商店理事会はすでに明治30年12月に「建築資金散収規定」を定めて,銀行,物庶鉱山の各社,地所・工業両部に呉服店を加えた全企業休の負担とし,6社毎期の利益金の10分の1を元方に納入させること,完成した建物は元方の所有とすることを決定,30年期からこれを実施する旨を通告した。本館が完成してもまったくこれを使川しない呉服店にまで負担を課した点に注目すべきである。機構整備の問題は,明治29年(1896)の商店埋事会発足以来の最人であった。31年からの民法,商法の全面施行を前にして耐震基準について話し合い始めていく。近隣施設:ローソン

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