プレミアム銀座イースト


プレミアム銀座イーストは「東銀座駅」「築地駅」から、徒歩3分の好立地に建つ2013年2月竣工の高級賃貸マンション。株式の公開が昭和20年(1945)11月に財閥家族所有財産の持株会社整理委員会への移転管理を命じた総司令部指冷が発せられ,三井家所有にかかる当社株式はすべて持株会社整理委貝会の管理下におかれることになった。当時三井本社に在籍していた江戸英雄(現当社会長)によれば,「終戦後,財閥解体になって,三井家,三井本社の株は,全部公開させられた。われわれは,三井不動産の株だけは三井家の家産であり,私産に等しいtのだから,これだけは残しておいてくれ,というのが,司令部に対する最後の願いだった。墓場の付属地もはいっていれば三井家が昔から持っていた土地もはいっている。三井家のプライベートだから,この株だけは残してくれと頼んだ。しかし,これもけられてしまったという(F対談,40周年を迎えて),当社「社内報」56年7月号)。次いで21年11月には財産税法が公布され,資産凍結を受けた三井家では納税の財源確保に苫慮する事態となり,場合によっては株式による物納もやむを得ないとする意見すら生じた。物納が行なわれ,当社の株式がその対象となれば,当社の経営上著しく不安定な状況が発生する恐れがあった。一方,当時制限会社に指定され,特別経理会社となっていた当社としても,一刻も早く企業の再建整備を進めるためには,株式の民主化を図り,財閥家族との関連を断ち切ることが必要であった。かくて当社は,三井家の納税財源確保と会社の再建整備をあわせ考え,総司令部と持株会社整理委員会の了解と勧奨を得て,24年3月に資財閥解体により三井本館から運び出される採券類(昭和22年)金の10倍増資(500万円→5000万円)を実施した。増資新株90万株のうち,72万株は旧株主である三#11家に引受け権の額面(50円)割当て,6万株は当社の役員・従業員・縁故者に額面割当てとし,残りの12万株を1株400円で公募した。この増資によって三井家は新株引受け権72万株を取得したが,当該新株の所有を禁止されていたので,証券剋理調整協議会を通じ1株40円(うち払込み金50円)で一般に公開販売した。三井家はこれにより株1株につき2520円(350円×72万株÷10万株)の資金を得たことによって,当社株式の物納という最悪の事態は回避された。なお,この増資に伴い同年5月,当社株式は東京・大阪両証券取引所に一部上場された。一方当社としても,この増資によって約8000万円の手取り金を得たのであるが,その主たる使途は三井本社への借入金の返済2430万円,エレベーターの復旧費1400万円などに向けられた。こうして創立以来当社が抱えていた既述の借入金は完済されたのである。さらに24年9月には,持株会社整理委員会の管理下にあった旧株10万株が,同じく証券処理調整協議会を通じ一般の入札に付された。この旧株・新株全体の公開民主化の完了に伴い,24年9月30日に当社再建の整備計画は認可された。こうした経緯を経て当社は,形式上も完全に三井家の手を離れ,一般大衆が出資する名実ともに公開会社となった。24年の株式公開が当社の第2の誕生といわれるゆえんである。プレミア銀座イーストが施工された当時、人気マンションが建てられることで株価にも影響を与えるようになっていく。近隣施設:ローソン

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