ディ・レジデンセス銀座東


ディ・レジデンセス銀座東は、中央区新富に位置する地上10階建、RC(鉄筋コンクリート)造、総戸数19戸の分譲仕様の高級賃貸マンション。不動産仲介業者が急増し,しかもまったくの無統制放任状態におかれていたために,昭和20年代の半ばには一部悪徳業者の暗躍が社会問題になった。そのため仲介業界の内外から適切な規制を求める戸が高まり,26年8月には仲介業界の有力1体が参加した不動産取引法立法促進連盟が結成された。これを受けて,仲介業者の登録制,仲介手数料の規定,人臣や知事による取締りをおもな内容とする宅地建物取引業法(宅建業法)が27年6月に公布,同年8月に施行された。施行後1年間で1万5573吽の業者登録があり,その内訳は個人企業が90‰法人組織が10%であった。なお,その後32年には宅地建物取引員制度が新設され,39年には登録制から免許制に変更されるなど,30年代には仲介業に対する法的規制が強化されていく。第2節の1でふれたように当社ではすでに戦前の昭和19年7月不動産売買仲介業を開始していたが,戦争末期の不安が増すなかで一般にも不動産売買どころの状況ではなかった。戦争の終結がようやく仲介業にも市場機会を招来したことはさきに述べたが,当社でも22年4月に事業部営業課のなかから不動産仲介・鑑定業務を担当する不動産課を独立させ、仲介・鑑定業務を本格化させることになった。戦前から本館5階の北東の角の一室を充てていた佇介・鑑定の事務所乱二号館1階の守衛室を改造してそこに移し さらに本館外壁の各コーナーに看板を出してPRに力を入れ,集客効果をあげた。当時の仲介業はもちろん現在のように組織化されたものではなく課員各白が売手
と買手をみっけて仲介するというやり方であったが,そうしたときにも「三井不動産」という商号に対する社会的信用は大きくものをいった。また鑑定業務の依頼者のひとつに閉鎖機関整埋委員会があったことにも,この時期の特色が示されている。仲介・鑑定のほかに不勤産課では25年から不動産の転売業務を本格化している。当社がいったん買持ちのうえ転売した物件には,渋谷区緑岡・同区上智町,杉並区方南町,新宿区新宿2丁目、港区麻布市兵衛町・同区芝三丁目,世田谷区上北沢一丁目等の土地などがあった。当社の不動産仲介・鑑定業務は,京業年度ごとに相当な上昇下降を伴いながら乱20年代を通じて全体として着実な展開をとげた。なお,当社も27年9月には宅建業法に基づき宅地建物取引業者の登録を行なった。近隣施設:中央区役所

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