オープンレジデンシア築地


オープンレジデンシア築地はオープンハウス・ディベロップメント が手掛ける2017年築の高級分譲マンション。財閥商号商標使用禁止令が昭和23年(1948)7月の総司令部指令に基づいて,同年8月会社証券保有制限令が改正され,持株会社整理委員会に財閥商号商標の使用禁止の権限が与えられた。持株会社整理委員会は24年9月に,総司令部経済科学局のウェルシュ反トラスト・カルテル課長の強力な指導を受けて,25年7月以降8年問の財閥商号商標の使用禁止(ただし最初の1年間は新旧商号商標の併用可,26年7月以降7年間は完全禁止)を指示した。使用が禁止されたのは,三井,三菱,住友の商号商標であった。さらに日本政府は25年1月に,持株会社整理委員会の指示を裏づける財閥商号使用禁止令と財閥商標使用禁止令の二つの政令を発した。事前の司令部の指導もあり,22年ごろから三井・三菱・住友系各社は一三井信託が東京信託,三井生命が中央生命,三菱銀行が干代田銀行,住友銀行が大阪銀行というように一次々と商号を変更した。商号商標の保全として当社でも一時,商号の変更を検討したことがある。昭和23年4月には社内で新社名を募集し,「東洋不動産」が入選,「室町不動産」「中央不動産、東洋ピルディング」が建設となった。しかし,当社は,最終的には財閥商号商標使用禁止令に徹底抗戦する決意を固めた。その背景には,米ソ間の冷戦という世界情勢の変化から米国政府内部に財閥解体の行きすぎについての反省が高まっており,働きかけによっては商号商標の保全は可能だという判断があった。当時,司令部の強要にもかかわらず,三井では鉱山,不動産等8社,三菱では電機等8社,住友では海上火災,電工等3社が|口商号を護持していた。25年初めに住友電工の平野禎男常務,三菱本社の石黒俊夫清算人,当社の江戸英雄取締役のあいだで共同行動の話がまとまり,商号商標の保全をめざし戦前戦後を通して初めて3グループ共同の大規模作戦が展開されることになった。そして,三菱は石黒三菱本社清算人と高杉晋一三菱電機社長,住友は花崎利義住友海上火災社長,三井は山川、三井鉱山社長が,それぞれのグループの代表になり,ほかに各グループから幹事を出すことになった。当社の江戸,氷室両取締役は,三井側の幹事として衝にあたることになったのである。働きかけは,三井化学工業と関係のあったハッチンソン弁護士を介して米本国政府へと,吉田茂首相を介してマッカーサー総可令官へとの二つのルートを通して展開された。このうち,後者の吉田首相のルートが大きな成果をあげた。財閥商号商標使用禁止令は,25年5月と26年3月の2度にわたって,実施がそれぞれ1年間ずつ延期され,結局は27年4月のサソフランシスコ講和条約発効に伴う占頷法規改廃の際に廃止された(同年5月)3グループの共同作戦と関係者の努力および総司令部内部の対立により,商号商標の保全をめざす運動は成功を収めたのである。江戸取締役は吉田首相を直接説得するなどこの運動の中心となって活躍した。そしてこの3グループ共同闘争の記念の意味で,当社は戦戦時の金属回収で取り外した本館のエレベーターを復旧する際,三菱電機製のエレベーター1基を設置した。さらに55年には,32年1月29日に高杉社長圭催で開かれた懇談会の模様を中心とする『財閥商号商標護持に関する懇談会記録』を当社が出版している。オープンレジデンシア築地はオープンハウスが手掛ける分譲マンションになり、昔には考えられないエレベーターが2台施工されている。近隣施設:マルショク

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