松竹スクエアレジデンス

松竹スクエアレジデンス 外観
松竹スクエアレジデンス

近隣施設:中央区役所
不動産協会が社団汰人化した当時,不動産業に関連する業界団体として,日木ビルディング協会連合会(昭和15年2月に主娶な貸ピル業者により結成),全日本不動産協会(宅建業法制定当時の建設大臣野田卯一のみこより,27年6月に不勁産売買仲介業者により結成),全国宅地建物取引団体連合会(32年4月に全不動産協会よりはひろい範四の不動産売買仲介業者により結成、日本宅地造成協会(35年5月結成,現口本院宅宅地経営協会)などが,すでに存在していた。しかし,これらはいずれも,不勁産業の特定の分野に関係する団体であり,不動胞業全体を代表する業界団体ではなかった。御手洗会長,江戸社長の就任前節にもふれたとおり第1次高度成長の過程で口本の経済構造と国民生活は一変した。この変化の過程は民間企業に多くの飛躍のチャンスを与えた。それを現実のものとするためには先見性と合理性に富んだ経営者の決断が必要であった。当社の場合,昭和30年(1955)n月にそれまで株式安定化問題の解決に腐心していた江戸英雄が社長に就任したことが,その後の社業飛躍の重要な契機となった。当社は30年11月に役貝人事を刷新した。ここでは山尾忠治社長の退陣,御手洗修の会長就任や,江戸常務の社長昇格などが決定された。会長の御手洗修心明治30年(1897)生まれで当時58歳。東京帝国大学法学部出身で,大正9年(1920)に三井銀行に入行。三井銀行の取締役副社長に就任すると同時に,当社の取締役会長に就任した。また新社長の江戸英雄は,明治36年生まれで当時52歳。東京帝国大学法学部出身で,三井合名,三井総元方,三井本社を経て,昭和22年当社に入社。24年に取締比27年に常務収締役に就任していた。その後34年8月に日下清常務が三井建設会長に転出し,36年7月には氷室捷爾常務が専務騏締役に,35年5月には三野村清一郎収締役が常務取締役に,36年5月には田口純取締役が常務取締役に,それぞれ就任した。この結果,「表向き」のことは江戸社長が担当し,「内向き」のことは氷室専務(40年1月以降は副社長)が切り回すとい時代が開幕した。

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