クオス銀座エスト・プルミエは2004年2月竣工、地上13階建て総戸数45戸の高級分譲マンション。小池会長は三井総元方常務理事,佐々木常務は同企両部長であり,圃村レ伊藤,馬場の各取締役および福田,荷見,梅田の各監査役もそれぞれ総元方の部長等であった。したがって当社専任の役出ま,長岡常務ひとりで,三井合名不動産課長,三井物産木店不動産管理課長を歴任してきた同常務が,三井不動産の産みの小池正彪は,明治18年ぺ1885)生まれで当時55歳。東京帝国大学法科出身で銀行常務,三井合名常務理事を罷任,のち昭和18年(1943)12月~19年3月三井物産会垣となった。長岡治男は,著名な物理学者長岡半太郎の長男で,明治26年生まれ,当時48歳。東京帝国大学法学部出身であった。佐々木四郎は,明治25年生まれで当時49厳O東京帝国大学法学部出身で三井物産に入社後,三井合名考査課艮を経てぺ井総元方企画部長に就任した。当時の併物産は三井合名を合併していた。分掌規程がそれぞれ制定され,各部各課の業務分担が明確にされた。当社は創立に際して,三井物疏から293名の従業員を継承した。内訳屈員247名であり,雇貝の身分別内訳は工務雇員105名,一般雇員12名,鯉期雇員92名,準雇員38名であった。また,雇員の職穐別内訳は,交信係(エレベーター連転手など)50名,計算係兼交信係(主として夜‘司要員)42名,整備係38名,設陥係36名,営繕係33名,材料係13名,検査係7名,昨日工具係7名,タイビストおよび給仕6名,電ぷ交換手,6名,受付係3名,被服係3名,自動車運転手2名,製図係1名であった。これらの大半は二井合名不動産課から三井物産に移っていた人たちであった。三井物産の本店不勤産管理課時代ノータッチといわれていた状況のもとで疎外感を味わってきた従業貝の多くは,あらたな使命感に燃えて当社に結集した。従業員に適川する諸規則は,当初,三井合名,三井物産の諸規則が準川されたか,その後三井総元方の諸規則が改祀されたのに伴い,当社は昭和16年11月から独自の人事関係諸規則の制定に取り組んだ。そこでは,三井総元方の規則改正に準じつつも,当社の特殊性を加味することが追及されたのである。とくに,職務の性質,学歴,技能,経験などの面で事務関係従業員と異なる,技術・現業関係従業員をいかに処遇するかが問題であった。これらの従業員を三井系各社共通の「職員」・「準職員」・「雇員」という呼称で律することは困難であったので,17年4月に従業員の呼称変吏を行ない,従業員は技術員・現業員・事務員に大別あるような資格が設けられることになった。近隣施設:ローソン