カスターニャ銀座

カスターニャ銀座 外観カスターニャ銀座

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終戦直後の当社は,公職追放令および財閥同族支配力排除法の影響を受げて再度の社長交代を余晨なくされ,昭和23年(1948)ごろまで経営陣が不安定な状態が続いた。軍国主義者,国家主義者の一掃と人的な面での財閥解体を狙った公職追放令は,21年2月に制定され,22年1月に強化された。22年9月に当社の役員の地位は同令の定める公職に指定され,「覚書該当者」であった佐々木社長は退任せざるを得なくなった。同年10月には佐々木社長が退任すると同時に井上逸郎が代表取締役に選任され。翌23年5月には正式に社長に就任した。井上逸郎は,明治26年(1893)生まれ,当時55歳。京都帝国大学法学部出身で三井銀行から三井総元方財務部副部長を経て昭和19年2月に当社監査役に就任,20年12月以降取締役の地位にあった。ところが井上社長も,23年1月公布の財閥同族支配力排除法に基づき,追放の対象となる、財閥関係役員に認定されかかるという事態が発生した。審査の結果,井上社長は「財閥関係役員」に認定されなかった当時の状況から井上社長が留任することは難しく,結局井上社長は23年10月に辞任した。以後当社の経営は,23年7月に代表取締役に選任された山尾忠治と,24年5月に代表取締役に選任された加藤泰一を中心に展開されたが,このうち山尾が27年6月に社長に.就任した。山尾忠治は,明治24年生まれ,当時61歳.東京帝国大学法学部出身で三井物産を経て昭和20年8月当社に入社,総務部長を経て同年12月以降取締役の地位にあった。同じ27年6月には,日下清,江戸英雄,氷室捷釧の3名が常務取締役となった。なおここで特記しておかなければならないことは,三井本社の解散に伴う人材の獲得であろう。三井本社の解散によって当社が三井各社の共同施設とモの要員を引き継いだことは前節でふれたが,このほかにこの時賠三井本社出身でその後の当社の経営の中枢を担うことになる貴重な人材の入社があいついでいる。

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