クリスタルスクエア銀座2

クリスタルスクエア銀座2 外観
クリスタルスクエア銀座2

近隣施設:中央区役所

石油ショツクとマンション後退の時期になる。列島改造ブームで全国展開の昭和48年から50年までの40年代末は、48年秋の石油ショツクで、わが国経済の全体が大きく揺れた時期であり、不動産市場も激動をみせた。もともと「日本列島改造論」や過剰流動性(金融超緩和)で、異常な土地投資ブームをみせていた不動産市場だっただけに、そのブームのピークから急速な取引低迷に落ち込んでいった、様変わりの場面で、マンション市場、マンション業界ともに暗転の時代を経験した。第一次石油ショツクは、周知のとおり、48年10月、OPEC(石油輸出国機構)加盟六力国が原油の大幅値上げを発表、これが多くの石油輸人国の経済に大きなショツクを与え、その後の不況状態をもたらしたものである。とくに、原材料の多くを国外に依存しているわが国の経済への衝撃は大きく、景気は一転して不況におちいり、総需要抑制、金融引き締めの強化などの暗い時期となった。不動産業界は、金融引き締めの主要対象業種の一つとされ、事業資金に不自由するようになった。それまで、不動産(土地)関連の融資といえば、豊富な融資を受けることができ、大規模な開発、建設事業を展開してきた多くの不動産・住宅企業は、深刻な資金難におそわれた。不況のもとで不動産の取引は停滞し、住宅の需要も大きく後退した。狂乱上昇といわれていた地価は、ショックの翌49年には全国平均9.1%の値下がりをみせた。47年度に185万6000戸、48年度に176万3000戸という、ピーク水準を示していた新規住宅着工戸数が、49年度には26万戸へと、一挙に50万戸もの低落を示した。不動産会社の中には、開発できない市街化調整区域などを買い込んでいるところも多く、これらの会社では、保有地を売ることができないばかりか、購入資金の金利負担の重圧の下におかれて、倒産に追い込まれるケースもある。企業倒産は864件、負債総額は1892億円にものぼり、不動産業の経営危機時代となった。さらに、ショック後、洗剤やトイレットペーパーなどの狂乱物価期が続き、住宅建設費や土地開発費も上昇、開発・建設事業の採算はたちまち悪化した。他方、住宅価格と購買力の乖離(かいり)も大きくなり、住宅市場も悪化した。インフレと不況が重なったスタグフレーションが進行した。田中角栄内閣の短期決戦で狂乱地価を抑制していくことにするので、当面しばらくはあらゆる面で辛抱してもらいたいと国民に呼びかけた。この「辛抱」の対象には「住宅」も含まれていた。こうした時期のマンション市場の仝国概況をみてみよう(不動産経済研究所の統計資料などによるもの)
48年は、10月以降に退潮をみたが、それまでは好調が続いていて、通年としてはマンション市場は伸びを示した。全国のマンション供給戸数は、9万3800戸と10万戸に迫り、総発売額も一兆円を超え、一戸あたり平均価格が1000万円台となった。販売戸数は前年(47年)が約七万戸と推計されているのに対し、10万戸を大きく上回り(前年からの繰り越し分を含む)、全国各地でマンションラッシュがみられた。「列島改造ブーム」のもとで、マンション立地は全国的に広がっていった。全国供給戸数のうち、三大都市圏が全体の77.0%、約7万2200戸、首都圏が同39.9%、3万7400戸と、引き続き大都市圈中心であったが。地方都市も23.0%、約2万1600戸と、大きな伸びをみせた。地方では、とくに札幌、仙台、新潟、広島、岡山、福岡などの各有力地方都市で、マンション建設ブームを現出した。中央区でも賃貸マンションが増えていき、クリスタルスクエア銀座2はSOHOでの使用できるマンションとして注目を浴びている。

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