コスモグラン勝どき


コスモグラン勝どきは、勝どき駅徒歩2分の築浅賃貸マンション。40年代のマンション市場の特色は、好不況を重ねつつ市場規模を拡大していったことだ。昭和40年代におけるマンションの市場と業界は、都市建築の高層化の進展のもとで、好不況を重ねながらも、全体として大きく伸長してきた。40年代のはじめはオリンピック後の不況、同年代の終わりには第一次石油ショツク後の不況と、そのはじめと終わりにはマンションの建設、供給は後退、縮小をみせたが、その間には、42.43、三年の第二次ブーム、47~48年の第三次ブームをみせ、市場の規模は著しい拡大をみせた。この間に目立ってあらわれた傾向、特色を総括してみると次のようなことがあげられよう。マンションの市民化が進む、30年代の第一次ブームでは、会社役員、タレントなど特別な階層を対象としたものであったが、40年代には対象を市民各層一般に広げ、都市住宅として普及、社会的な定着を示した。需要層は厚いものとなり、市場が大きく広がり、大于不動産、商社など、多くの企業がマンション市場に参入してきた。住宅の商品化の推進30年代から40年代にかけでは、住宅の商品化が進められた。すなわち、個人が個別に建てるという在来の方式のほかに、建売住宅が増え、さらに分譲マンションが増大した。現在、この両者を総称して「分譲住宅」としているが、「分譲住宅」は「商品住宅」であり、住宅の商品化が進んだわけで、分譲マンションの増大はとくにこの傾向を強く示すものであった。マンションの多様化-その利用目的については、一般ファミリー用のほか、単身者用のワンルーム、あるいはビジネス用の小規模のもの、さらにはリソート用のもの、などさまざまな目的分化がみられた。また、一般には市民化が進みながらも、やはり一部には高級なものもあり、マンションにおいて住宅の質の向上を示すものが建てられた。さらに、全般的には高層化がさらに進み、12階、13階が増え、15階以上のものも出現した。マンション増大をめぐる問題の発生-管理方式の整備が課題とされる一方、日照紛争が多発し、法規制に至ったことや、また、マンション投資事件や倒産被害問題が起こり、前金保全措置が法制化されるなど、マンション事業に新しい問題の発生をみたが、これらもマンション事業の成長過程を示すもので、これらの問題を経て、マンション業界は成熟していったとみるべきであろう。中古マンションの流通-マンションの供給量が増大するのに伴い、マンション購人者の住み替え(買い替え)も発生するようになった。住宅の総ストック戸数が、総世帯数を上回るようになり、住宅全体で中古住宅の流通が活発化のきざしをみせてきており、とくにマンションについても中古流通も始まってきた。とくにマンションの場合は、規格などに統一性があり、他の住宅以上に流通性をもつもので、50年代にそれは大きく展開した。40年代までは、地価高騰を契機として、国土利用計示す、象徴的な出来事でもあった。こうしたなかで、いよいよ50年代を迎えることになるが、この50年代初頭のころの住宅事情はどんなものであったかまず、背景としては、このころわが国の住宅事情は、ようやく質の時代を迎えつつあるという点だろう。昭和48年秋に行われた「住宅統計調査」によると、全国の住宅戸数は3106万戸で、総世帯数を141万戸も上回ったが、これは、全都道府県における初の現象であった。近隣施設:勝どき区民館

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