デュープレックス銀座タワー8/14


SOHO に適したクリエイティブ空間、銀座に誕生。銀中通りに面するSOHO型OAフロアの賃貸マンション、デュープレックス銀座タワー8/14。50年代に入ると、この傾向はますます強くなり、住宅の建設・供給というフローにあっては低成長の傾向がいちじるしい一方、ストックの面では、いまやご亙から質への傾向を強めることになる。このあたりの状況について、昭和50年度『建設白書』では、量的には確保された住宅、住宅の質の向上への要請、住宅建設の停滞という3点にまとめている。これら3点について、それぞれ説明を加えておくとまず、住宅の量的確保については前記の通り、48年には全国で住宅戸数が世帯数を上回るようになっている。空家も全国で172万戸に達し、空家率は5.5%、量的な面では住宅はすでに碓保さ
れたといえよう(50年度『建設白書』)。ただ、住宅の質の面となるとまだまだである。たとえば48年12月の『住宅需要実態調査』によると、住宅困窮世帯は仝国で1003万世帯、全世帯の35%を占めているほど。住宅困窮の理由としては、「狭い」が49.6%と困窮世帯の半分を占めている。48年に行われた調査であるが、50年代に入ってもなお引きつづ見られる傾向であることは想像に難くない。依然として「住宅の質の向上への要請」が、人々のあいだに強く求められているのが50年代初頭のころの、大きな特色であろう。ところで、オイルショック以後、50年代初頭にかけての、住宅をめぐる傾向は、『建設白書』も挙げているように、住宅の建設がいちじるしく停滞したことだろう。前記のように、48年度から49年度にかけては、新設住宅着工戸数は28.5%の激減ぶりであったが、50年度には142万8000戸(対前年度比2.2%増)、51年度には153万戸(同7.2%増)と回復している。とはいうものの、オイルショック以前の170万~180万戸台にくらべると、いちじるしい停滞ぶりであり、経済の低成長を物語る住宅建設戸数の推移であった。建設戸数の停渫の理由はなんであったかまず何といっても、オイルショック前後の地価・建築費の高騰のために、住宅需要者の住宅取得能
力がいちじるしく低下したためであった。たとえば地価。日本不動産研究所「仝国市街地価格指数」によると、六大都市住宅地平均では、45年3月にくらべて48年3月には1.9倍、49年3月には2.2倍と上昇をつづけている。50年3月になるとやや安定し、1.1倍程度となっているが、依然として不安定であり、住宅需要者の土地取得を困難なものにしている。

建築費にしても同様である。たとえば東京における木造住宅の建築費は、昭和45年から51年前後まで急騰をつづけている(建設工業経営研究会「標準建築費指数」による)。いずれにしても、こうした地価、建築費の上昇が、住宅を取得しようとする需要者の取得能力を低下させ、ひいては住宅建設戸数の停滞につながったことはいうまでもない。そのほか、住宅建設停滞の理由としては、前記のように住宅総戸数が量的に解決されたこと、あるいはこのころの住宅金融の引き締め傾向などをあげることができよう。そのなかで現在では、事務所契約の初期費用が高いこともあり、住居兼事務所の契約が普及していっている。デュープレックス銀座タワー8/14も高級賃貸マンションだが事務所使用している部屋がほとんどだ。このように時代によりマンションの使用方法もエリアによって変化していっている。近隣施設:ファミリーマート

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