都営大江戸線 『勝どき駅』徒歩3分、東京メトロ有楽町線『月島駅』徒歩16分、都営大江戸線『月島駅』徒歩16分の立地に建つ分譲マンションセザールベイサイド勝どき。年々のマンション価格(一戸平均価格)と対比してみると、51年4.5倍、52年4.1倍、53年4.2倍、54年4.5倍、55年5.0倍(分譲価格の平均年収にたいする倍率)となっている。つまり、51年から53年にかけては、多少のバラツキは見られるものの、年収にたいする割合は比較的落ち着いており、しかも年収の4~5倍強の価格で平均的なマンションが取得できることを示しているが、これが需要者のマンション購入をスムーズにした原因であった。ただ、55年になるとマンション価格が高騰傾向に移り、年収にたいするマンション価格の倍率が一挙に高まっている。同時にそこから第四次マンションブームが終息することになる。固面開発方式の増加と設備充実傾向が始まる。そこで、昭和52~54年にかけてマンションの状況をより具体的にご紹介しておきたい。すでに述べたように、このころのマンションの分譲戸数はきわめて多く、しかも需要も活発で売れ行きも好調であったが、マンションの具体的な状況は、それこそ第一次オイルショック
前後にくらべて、きわめて多様性に富んだものとなった。たとえばこの時期、都心型マンションが急増したのが大きな特色であるが、その都心型マンションにも、ビジネスマンションありファミリー向けマンションあり、あるいはデラックスな億ションありというぐあいだったし、都心型でも準都心型と呼ばれる地域では、面開発型のマンションも続出した。
郊外型でも同様で、ビジネスマンションや。億ション”は見られないものの、連棟建て方式のマンションまであり、また融資の点でいえば。公庫融資付きのファミリータイプから面再開発方式のマンションがこのころ勢いがあった。
さらに設備や形態的な点では、たとえば億ションなどでは、設備上、オートロックーシステム、さらに設備はオール電化のものが増加、一方、25階建ての超高層マンションが出現したのもこのころになる。さらに、面開発方式のものではオープンスペースの広さが敷地計画の目玉となり、コミュニティー広場を持つマンションが増加することになる。まず、面開発方式マンションの増加であるが、面開発方式とは、広い敷地を生かして計圓的な敷地プランにより、二棟以上のマンション棟を配置するものをいう。この方式のマッションは、昭和47.48年ごろのマンション立地の拡散による郊外型マンションの増加とともに急増したが、当時のものは、ほとんどのものが交通不便の地であり、敷地計画も一律で、いわば団地の域を脱していないものであった。ところが51から54年ごろのものは、立地条件は比較的よくなるとともに、敷地計画の上でも工夫がこらされ、前記のようにオープンスペースを生かしたコミュニテイ広場や子供の遊び場、小公園などを盛り込んだものが増加している。たとえば事業年度51~55年にわたるサンシテイ(東京都板橋区)は、三井不動産と旭化成の共同事業によるもので、工場跡地こ1万7000平方メートルを生かした面開発方式のマッション、総戸数1872戸に及ぶ規模であるが、もともとの傾斜地や緑を生かして、すぐれた環境のマンションをつくり上げている。ちなみにこのサンシテイには、G棟と呼ばれる25階建ての住棟(56年完成)があり、長いあいだにわたって分譲マンションの東京の高さを誇ってきた三田綱町パークマンション19階建ての記録を塗りかえた。今では中央区勝どきエリアに高層マンションが立ち並んでいるため、特別な感じがしなくなっているかもしれない。近隣施設:東武ストア