エストライフ勝どき

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近隣施設:勝どき区民館

こうした地価上昇はなぜ起こったのかというとまず第一に、景気の立ち直りをあげることができる。53~54年ともなると、第一次石油ショツクの傷あともようやく癒え、わが国の経済も部分的には過熱的な現象を生むに至る。住宅需要もきわめて活発であり、51年から復活した新設住宅戸数の高水準維持は54年までつづき、51年~54年のあいだは、各年度ともに150万戸前後で推移している。同時に宅地供給量は、このころも漸減するばかりで、たとえば昭和54年度の宅地供給量は全国にわたって1万3400ヘクタール。これは、ピーク時(47年度2万3400ヘクタール)の57%に過ぎない供給量であったが、需要が活発なところに供給量が減少したためであり、地価が高騰するのは必然の傾向であったといわねばならない。 地価上昇の一方では、このころに統住宅環境として不利な条件がさまざまな面で生じるようになる。たとえば金利の上昇。金利体系の基準となる公定歩合は、50年以降次第に低下傾向を示し、53年三月には当時の。ボトム(最低)である3.5%となったが、54年に入るや引き上げに移り、55年3月には公定歩合(年)9%という高金利時代を現出している。当然、公定歩合の引き上げは住宅ローン金利にも影響した。50年4月の年9%以来下降をつづけ、54年4月の7.62%という。ボトムを示したローン金利は、同年夏からは引き上げに向かい、55年8月からは年8.88%という、ローン金利の高水準時代を生む。一方、建築資材価格も上昇した。この現象は、53年後半ごろからいちじるしくなり、それまで安定的に推移していた建築資材価格日本銀行・卸売物価指数調査による伸び率は、53年平均で対前年比増加している。つづいて54年平均、55年平均で同6%の、それぞれアップを示した。こうした資材価格の上昇の原因の一つは、やはり54年のあいだの、活発な住宅需要に支えられていた点をあげることができる。住宅取得環境の悪化の要因の最後に、勤労者世帯収入の、実質的な目減りをあげることができる。勤労者世帯の平均年収は、52年400万円低成長時代とはいえ確実に上昇しているが、このころはまた、物価上昇も年率でかなりの割合を示しており、実質的には勤労者世帯収入はむしろ目減りをしていたと見てよい。つまり、消費者物価指数(全国・総務庁調べ)の上昇率(対前年比)は、52年8.1%増、53年8%、54年3.6%、55年8%となっており、これを前記の勤労者世帯平均収入の伸びと照合すれば、平均収入の実質的伸びはきわめて微々たるものであったことがわかる。とくにこれを前記の地価上昇、あるいは資材価格の高騰とつき合わせて考えると、住宅取得環境の悪化現象の発生が手に取るようにわかるのではないか。その結果、住宅の需給動向の有力な指標となる新設住宅羞工戸数が、五五年から四年間にわたって低水準を低迷することになる。すでに述べたようにご新折設住主宅も着工戸数は、51年度には第一次石油過うショック後の低迷から脱し、54年度にかけて毎年度とも150万戸前後で推移してきたが、55年度となると、前年度比18.3%も減少、この年度の新設住宅羞工戸数は121万4000戸となった。さらにその後、58年度まで150万戸前後で推移し、このころには、わが国の住宅建設戸数は10万戸台を割るのではないかという考え方も生じたほどである。図マンション価格急騰で、売れ行き不振時代ヘで、54年から55年あたりにかけてのマンション事情はどうであったかを振り返ってみた。オイルショック以降、五三年まではきわめて安定的に推移してきた。ところが、五四年ともなると、価格上昇のいとぐちがはっきりと生じてくる。つまり、52年の一戸当たり平均価格(首都圏)が1640万円であったものが、53年には21万円、このあいだの上昇率はわずかに4.4%。ところが54年には1998万円となり、前年比の上昇率は2.7%で、53年の上昇比率をはるかに上回っている。さらに55年の1戸当たり平均価格は2479万円で、すでに2500万円に近づいたほどであり、前年比の上昇率は24.1%にものぼった。前々年(53年)の平均価格(171万円)の、おおよそ5割増ということになり、このあいだのマンション価格の上昇がいかにはげしかったかを物語っている。ただ、54年から55年にかけての、マンションの一戸当たり価格の上昇は、一戸当たり平均床面積が拡大したためでもある。つまり、54年における首都圏マンションの一戸当たり平均面積は59.6六平方メートルであった、55年にはこれが63.1平方メートルヘと拡大している。したがって、このあいだの実質的な価格上昇は、分譲単価の変化と見るべきであるが、この分譲単価(専有3.3平方メートル当たり)は、54年には110万8000円、55年には9万8000円この間の上昇率は17.2%であり、一戸当たり平均価格の上昇率を下回っている。いずれにせよ54年から55年にかけては、マンション価格が大きく上昇したのだが、こうしたなかで起こった現象は、マンションの第四次ブームの終息であった。この第四次マンションブームは、53年半ばごろから起こり、54年にかけてつづいたことは、前章で述べた通りである。マンションの売れ行きを示す数字に月間契約率があるが、昭和54年中は、この数字が毎月のように80%台を示し、54年平均では80.5%となったほどである。年平均80%の月間契約率は、この数字が発表されるようになってからはじめての大台であった。ところが54年1月には、この月間契約率が70%を割って67.9%へ、そして55年1月には69.2%へと下落する。このあたりが第四次ブーム終息のいとぐちであり、55年から58年ごろまでつづく。マンション不振時代”の前兆でもあった。そして55年1年間の月間契約率平均は65.4%、これは、前年の80.5%にくらべて15ポイントもの下落であり、第四次ブームは完全に終息したことを物語っている。

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