THE TOKYO TOWERS MID TOWER

THE TOKYO TOWERS MID TOWERは、勝どきに建つ非常に大規模なツインタワーマンション。特徴的な外観で勝どきのランドマークといっても過言ではありません。不動産協会の創立総会は41年6月1日、TBRビルのホールで開かれた。中野周治が議長となり総会は円滑に終わり、協会は実現した.このときの会貝社は、信販コーポラス、東京コープ、秀和、中銀マンション、大日本土木、永谷商事、国分建設、角栄建設、伊藤忠不動産、富士建設、島藤建設、稲村建設などの21社が参加した。そして柴田の不動産経済研究所、中央区の住宅新報社は特別会員となった。理事長には吉田清貫、副理事長に宮田慶三郎、小林茂、渡辺酉蔵が選ばれ、柴田は事務局長に就任した。後の協会拡大からみて、この時代は。第一期高住協時代”ともいうべきころで、規模も小さく、社団法人申請などはもう少し大きくなってから、共通問題の研究などをした。もっとも、このころから柴田と親しかった建設省文書課長補佐の宮繁護(のちの国土庁事務次官、日本道路公団総裁)に、社団法人化の相談をしている。宮繁は、社団法人のつくり方、運営の仕方などを懇切にコーチしてくれた。できたばかりの協会の会貝各社は、フェアプレーでそれぞれの事業を競いつつも、都市再開発の使命を語り合い、協調を進めていた。各社の親睦は深まり、かつ勉強にも熱を入れており、業界独善を排していた。各社は一つにまとまりながら、大きく拡大発展することを考えていた。拡大発展のときは、翌42年にきた。この年の4月、不動産協会(37年設立)が第一回欧州不動産事情視察団を派遣したが、柴田はジャーナリストとしての見聞を広めたいとして、同団に参加した。団長は住友不動産常務(のち副社長)の布野嘉雄で、住友不動産からは布野のほか、調査室長(のち常務)の佐藤一郎も参加していた。柴田は、布野、佐藤と親しくなり、高住協の存在意義を二人に説き、大手ではもっとも先発でマンション事業をしている住友不動産の協会参加を要請、布野らもこれに賛同した。パリやロンドンなどの大規模な再開発事業を視察する旅行の途中だっただけに、柴田の話には強く訴えるものがあったと思われる。帰国後、この話し合いはさらに続けられ、協会は住友不動産など大手にも広く門戸を開く、理事長に住友不動産社長の瀬山誠五郎を迎える、という方向に進み始めた。また、柴田と親交のあった三井不動産企画監理室長の山田喜志夫(のち常務)も柴田を支持し、三井不勣産の社長であり、大手不動産業者の団体・不動産協会の理事長の江戸英雄に、高住協についての理解をもたせるようはからった。三井不動産といえば、中央区の勝どきの高級賃貸タワーマンションのはしりとなったTHE TOKYO TOWERS MID TOWERもこの時の影響が多いと思われる。その後、不動産協会の会員でもマンション事業に進出する会社がボツボツ出始めていたが、江戸も高住協の強化を図るべきだと考えるようになった。一方、第一期高住協グループも「高住協を自分たち専業者だけで独占すべきではない。広く大手も迎え入れて、拡大発展を期してこそ、協会設立の本旨にそうものだ」との意向を固め、大手の入会で協会役貝ポストに異動があることなど意に介しない、という気運にまとまっていた。こうした経過で、この年の秋、第一期グループの総会が住友不動産の会議室で開かれ、瀬山誠五郎も出席、吉田清貫理事長が瀬山に、自らのポストをあけ、「理事長に就任していただきたい」と要請し、瀬山がそれを承諾する、という一幕があった。このときから協会は新しい発展への第一歩を踏み出した。
次いで11月14日、協会は臨時総会を開いた。予定どおり住友不動産など大手の新人会員を迎え入れる総会であり、後に協会ではこの総会を。拡大総会と呼んでいる。住友不動産のほか、三井不動産、住友商事、東京建物、有楽土地、日本地所、地産、長谷川工務店、長谷部建設、日本信販、東亜不動産、土地興業が人会、会員は24社となった。江戸英雄も出席してスピーチに立ち、拡大発展を祝うとともに、都市改造の使命を説いて会貝社を励ました。新たに瀬山が理事長、吉田、的場健次(日本地所社長)が副理事長となり、江戸、弥富武(東京建物社長)が顧問になった。柴田は引き続き事務局長の任にあたることとした。また、この拡大総会では、新事業方針として次の五項目を決めた。①会貝相互の協力により民間高層住宅事業の健仝な発展を図ること。②民間高層住宅事業促進のための法制、税制、金融助成策等の樹立に努めること。③高層住宅の量的充足のほか、質的向上を図り、もって国民の「住」生活の内容充実に資すること。④高層住宅居住のモラル、共同生活の秩序の創造に努めること。⑤今後さらに会貝を増加し、早期に社団法人の認可を受けることに努めること。建設大臣による社団法人認可は、43年11月に受けることができた。44年1月に開かれた会合で、瀬山理事長と江戸顧問は次のように述べ、高層住宅業界の責務を訴え、その発展の道を説いた。近隣施設:勝どき区民館

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