ライオンズクオーレ東京八丁堀

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ライオンズクオーレ東京八丁堀は、2010年築デザイン性の高い高級分譲マンション。いまの人たちからみれば、いささかアナクロニズム(時代錯誤)と思うかもしれないが、とにかく専任管理人の多くは、夫婦げんかの仲裁から息子、娘の結婚、就職の相談まで行っていたのである。「大家といえば親も同然しといった血の通った住宅管理が、発足当時の公団住宅には生きていたのである。だが一人の管理人が面倒をみるには限度というものがある。その後、1000戸、2000戸といった大団地が続々登場してくるとともに、家賃を個人が集めることは不可能になってきた。また、〈現な苦情でも聞くのが当鉄ごと、夜中でも平気で叩き起こされたりし、管理人の多くは、体力的にこれに応じきれなくなってきた。そして三九年を最後に、団地族に親しまれてきた専任管理人制度は姿を消すのである。さまざまな問題はあったと思うが、専任管理人制度といい、ヘルパー嬢といい、中高層のマンションの集合住宅という新しい住まい方を、定着させていく上で大きく貢献したといえそうだ。またこの二つの制度は、これから中高層住宅をさらに都市部で推進していくため、何をなすべきなのかといった問いへの回答を含んでいる気がする。

惑う補修サービス 入居の始まった2年目になると、管理戸数の伸びに伴って、修繕個所や予測しないような苦情が多くなってきた。それまでのように支社からいちいち業者に手配していたのでは間に合わないケースが増えてきた。そこで登場したのが〈修繕機動隊〉といわれる巡回サービスカーである。東京支社では大工、電気、配管工といった職種の人を公団職貝に採用、運転手を含め一班四人編成で、週一、二回の割りで団地内を巡回した。サービスカーの屋根にスピーカーを付け、「なにか故障がありましたら、ご遠慮なくお申し付け下さい」と団地内を一周する。管理事務所には電気のヒューズ、水道のゴムパッキングなどを備え、いずれも無料で取り換えるというサービスを実施していた。故障は意外なことに、公団ご自慢の水洗トイレやガス風呂に集中していた。初めのころは、公団の管理担当者たちは、器具の欠陥か、施工ミスか、とあわてたものだった。だが実は大半は、使い誤りが原因だったのである。水洗トイレも、ガス風呂も初めてという入居者が多かったからである。例えば水洗トイレが流れなくなったという苦情で駆け付けると、それは例外なく異物を流して詰まらせたことによる故障だった。特に目立ったのは、赤ちやんのおむつを洗っているうちに、うっかり吸い込ませてしまうというケースである。この修理となると、便器と配管をいったん取りはずさなければならず、さんざん手間をかけて直し終えた直後、またすぐ近くの棟でそっくり同じ故障が発生したりしていた。

青戸など31年に入居した団地は、風呂が小判型の木桶だった。風呂場が狭いので釜の炊き口は流し場に向かって横に付けられていたが、今日なら、まず口火を付けてからバーナーを点火する手順はだれでも知っているが、そのころは口火を付けず、いきなりバーナーのコックをひねって火を付けようとする人が後を絶たなかった。無理を続けると、当然ながら釜にたまったガスに引火、〈ボオン〉と大音響が発生する。被害のない場合でも「たいへん。風呂が爆発した」と青くなって管理人のところに駆け込むといった騒ぎも珍しくなかった。また給水をめぐるトラブルも多発していた。発足当初の団地の多くは、地下水を高架水槽に汲み上げて給水していたものが多かったが、この方式の東伏見団地で、入居した夏に、油まじりの水が出て大騒ぎになったことがある。原因を調べてみると、地下水を汲み上げるポンプの潤滑油が、日照り続きで地下水が下がったのにつれ、パイプの口から吸い上げられてしまったのである。運悪く土曜日のため、修繕業者に人がいないで、結局、三日間も給水車に出動してもらい、各戸に水を配る始末となるなど、机上の設計では考えられないようなアクシデントが頻発、その対応に頭を悩ませていたようだ。
近隣施設;中央湊郵便局

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