プレール・ドゥーク銀座EASTⅡ

プレール・ドゥーク銀座EASTⅡプレール・ドゥーク銀座EASTⅡ

2006年8月築に施工された中央区入船アドレスの賃貸マンション。プレール・ドゥーク銀座EASTⅡ
このため38年ごろから量産試験場で模索を続け、一応原型をつくりあげると、近くの神代団地でテストをしてみたりした結果、うまくいくというメドがついたため、40年夏、千葉県作草部に公団専属のPC板工場をつくり、千草台団地の約490戸をPC工法で建設することになったのだ。始めは2DKを1日に2戸分しか生産する能力しかなかった。このため、公団内部にもベルトコンベアー方式の方が効率的といった批判もあったが、関係者はPC板とPC板のつなぎ目に、日本古来の〈継ぎ手〉〈仕口〉などの手法を取り入れるなどして、成果をあげることに成功した。この技術開発の成果は、「使い勝手がいい」「公団の厳しい検査もすんなり通るほどの良質な製品を量産出来る」「組み立ての時間を入れても工期を約5分の1程度、短縮できる」「コストが10%以上安くなる」といったことが明らかになるにつれ、作草部工場には、次から次へと見学者が詰めかけ、〈作草部ショック〉という言葉が、業界紙をにぎわしたこともある。公団はこの成果を特許とせず、希望者に技術公開したため、約100社がPC工場をつくることになり、この技術はまたたくまに普及することになった。

荷物の扱いに困るケースが増えてきていることなどから、こうした仕事を代行していくための公団住宅のホテル化議論が再燃してきている。こうした動きをみると、もう少し、ヘルパー制度を、うまく活用するような体制が取れなかったかと、惜しまれてならない。これが円滑に機能していたら、現在の集合住宅の管理、サービスのあり方は大きく変わっていたのではなかろうか。胴一登場した現代版大家さん・専任管理人ヘルパー嬢と同様、現在はなくなってしまったが、専任管理人制度も、団地生活をスムーズに運営していくために設けられた。江戸時代を扱った落語によく登場してくる大家さんは、家賃を集めるだけではなく、店子の生活上の相談からモメごとの仲裁までしていた。公団では発足当時、この大家さんにあたる「専任管理人」を団地ごとに配置したのである。毎月25日から月末までの間に、団地内の家賃を集めるのが最大の仕事だった。多額の現金を扱うとあって、専任管理人には、世間的に信用度の高い人がスカウトされた。元陸軍中将を筆頭に、陸、海軍の将官、佐官クラス、元消防学校長や警察署長といった経歴の人たちが顔を揃えていた。このため、管理人には明治生まれの気骨を持った人が多く、元海軍大佐だった管理人などは家賃計算の最終日、奥さんが車にはねられ、重傷を負って病院に担ぎ込まれた。驚いた娘さんが、管理事務所へ泣き声で知らせてきたが、そのまま仕事を続けていた。見るに見かねた補助管理人が「あとは私がやりますから早く病院へ」といっても、「いま私の仕事場が戦場。業務が完了するまで離れるわけにはいきませんにと夜遅くまでかかって家賃の集計を終え、やっと病院に向かった、といったケースもあった。現代の築浅マンションの例プレール・ドゥーク銀座EASTⅡでは到底理解できないことである。
近隣施設;中央区立 桜川保育園

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