グラーサ銀座イースト

グラーサ銀座イースト 外観

グラーサ銀座イースト

近隣施設:中央区役所

ブロックは壁材としてはシャレているが、気密性が普通のコンクリート壁より低い。そのため、音が細かい穴を通って隣家へ伝わってしまうことがわかった。そこで、せっかくのブロックは、表面にモルタルが塗られ、〈目張り〉されてしまったのである。この二つの例は、集合住宅にはデザインだけではなく、音に対する配盧がいかに大切かを設計者に教えていた。こうしたことが契機になって、公団ではその後、防音のためのプロジェクトチームをつくって研究を重ねることになった。初期に比ぺると、その成果はあがってきているが、まだ残念なが
ら音に対する苦情を完全にシャットアウトするまでにはいたっていない。それというのも、音には壁や床のコンクリートなど固いものに伝わりやすい「固体音」と、空気のなかを伝わる「空気音」という性質も対策も異なる二つの種類があるためだ。団地でいつも問題になる風呂やトイレの排水の音は、水が排水管と摩擦することによって生じる固体音、話し声やピアノなどの、空気音と違い、壁や床のコンクリートを多少厚くしても防げないといったことがあるためである。

住宅建設の革命PC工法開発が昭和30年代に住宅公団が開発した建設技術のなかで、最も評価が高かったのはPC工法の開発である。その成果は公団住宅だけではなく、民間にも影響を与え、わが国の住宅建設技術の水準引き上げに大きく寄与した。先にあげたように、ステンレス流しの採用にあたってみせた発想I規格を統一し、量産によって住宅部品の品質を向上させ、コストダウンを図るという考え方は、部品の分野だけではなく、住宅の躯体本体にも取り入れられたのである。まず登場したのがMF工法(メタルーフレーム金属型枠工法)だ。これはコンクリート打ち込みをする際に使われる型枠を、それまでの木製から金属製に変えただけの、一見、だれでも思いつきそうなアイデアだったが、仕上げられたコンクリートの壁や床の精度は驚くほど高くなった。

こうして型枠を何度も繰り返し使用できるようになったため、建設コストの引き下げにもつながったのだ。PC工法の業界に与えた影響はもっと衝撃的だった。PCは、プレキャストーコンクリート型枠に入れたコックリートの略である。これまで建設現場でコンクリート打ちが行われていたのに代わって、事前に工場で完成させたPC板を現場で組み立てればいいというのだから、当時としては、まさに住宅づくりの革命だったのである。こうした一連の住宅生産近代化路線は、三八年に調布市国領に建設された量産試験場で推進されていった。必要は発明の母といわれるが、PC工法の誕生の経緯について、当時の関係者は次のように語っている。建設戸数はどんどん増えてきているのに、熟練技術者は不足。それどころか、高度成長でどこも人手不足で、建設業界も、いずれたいへんなことになりそうだという危機感があった。欧米でも同じような事態だったが、こうした問題点を、住宅生産の工業化によって乗り切ろうとした。しかし何もかも初めての分野で、随分苦労させられた。

住宅生産の工業化といえば、この時期は一戸建て住宅を対象とした木質系ないし鉄骨系の工業化住宅いわゆるプレ住宅が国内に顔を見せ始めたばかりだったが、公団が求めていたのはコンクリート系の中高層住宅用の工業化技術だった。このため、公団技術者が先進国フランスの工場などに視察に出かけたりしているが、見学させたら技術が盗まれてしまうため、工場見学をシャットアウトされたりして、結局自前で開発することになる。

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