乃木坂パークハウス

乃木坂パークハウス 外観
乃木坂パークハウス

 東京・三鷹の団地と葛飾区の青戸団地の住人たちを対象にした調査結果を軸に構成されていた。そうして、この調査をやったのが私である。いまでもはっきり覚えているが、この両団地に初めていったとき、私のまず感じたのはうらやましいということだった。広い芝生があってベランダがある。ダイニングーキッチンには三種の神器が揃っている。結婚したらなんとしてでもこういう生活をしてやるぞ、へんに興奮したものだった。この調査をやった担当はそのとおり結婚して三年後、念願の団地族の一人となったが、実をいうと、その時は、共稼ぎをしていた奥さんの収入と合算しても入居資格の収人限度額に達しなかった。なんとか、つじつまを合わせてやっと人居できたのだとしている。ともあれ、30年代は、公団住宅のエピソードにみられるように、多くの試行錯誤を重ねながら、公団住宅を中心にした中高層の集合住宅は、一挙に市民権を得て、社会生活のなかに溶け込んでいくのである。第一次マンションーブームの昭和三〇年代前半までは、耐火造りの中高層住宅といえば日本住宅公団が大量供給する公団アパートにほぼ限定されていたといってよく、民間デベロッパーによるものはほとんどみられなかった。有名な三菱が手掛ける高級分譲マンションの【乃木坂パークハウス】のようなマンションはまだないのだ。一般的にはまだ庭つき一戸建て住宅を志向する伝統的な住宅意識が強かったからである。高級マンション呼ばれる中高層住宅が出現してきたのは昭和30年代はじめだが、当初のマンションは賃貸によるものがほとんどだった。利用目的も住宅というより、事務所、仕事場、出張サラリーマンの宿泊所といった業務関係が中心となっていた。

そのうちマッショッを住居に利用する人が少しづ現れてくるようになる。事務所などとして使っているうち、その便利さを知った弁護士、医者、会社重役、それから職業上、開放的な一戸建てよりは密室性の高い住居が欲しかった芸能人、スポーツ選手などが住宅として利用するようになってきたのだ。メロドラマの2枚目として人気のあった映画俳優佐田啓二は32年に結婚、都内三田の東急のマンションに新居を構えたが、その感想を週刊誌に次のように語っている。各部屋にはバスも電話もついているし、合理的な生活ができます。それにサービスもいいし、われわれのような忙しい生活をしている者にはとても便利で、洋式だから生活様式もオープンになった。このような高級賃貸マンション紹介が今後増えていくのでないだろうか。今ではいろいろなサイトができており、検索にも苦労しない。
参考URL:中央区の高級賃貸マンションならリテラプロパティーズ

 生活は近代人には一般的に完成した時、東京・麻布狸穴のマンションについて、当時、朝曰新聞が仝入居者の職業を調査したことがある。狸穴といえば都内でも屈指の高級住宅街で、その閑静な住宅街に9階建の高級賃貸マンションができた。外部も貸華で1番な小さなビルが出現しろ、話題になった。当時の家賃は10万9000円だった。最上階の部屋は108・9平方メートルとかなり大きな部屋がとなっていた。ちなみに当時の公団住宅家賃は2DKクラスで1万円前後だったから、入居者も特定階層に限定されていた。

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